経歴
静岡マツダ メカニック時代 8年間
国内限定3店舗モデル店で1年間CS(カスタマーサービス)について学び、メカニックだけでなく接客も対応可能なオールマイティーメカニックを経験。
新人の時は正直酷いものでした…。
当時の検査員や周りの先輩方を相当悩ませていたと思います…。
が、難しい整備など何でもガンガン挑戦し、壊してまた直して…とにかくひたすら手を動かし、没頭し出したら本当に楽しかったし夜中でも全く苦にならずひたすら整備していた整備士時代。
約8年間ガツガツやって来て、30歳を超えて肉体労働?とふと立ち止まり、何も考えず辞めました。
退社後色々経験した1年間
新潟中越地震ボランティア1ヶ月。
テレビでは伝わらない悲惨な状況下を目の当たりにし、全く知らない人達と協力し団結する威力と大切さを学び自分を見つめ直す時間もいただきました。
その後、ものづくりを経験したいと製造業、楽しいが夜勤が慣れず挫折…。
ものづくりも楽しかったけど、「作る+直す」の両方が出来たら可能性が広がる!とその前に同じ乗り物でも重機を触ってみたい!と思い立ち、重機の整備をしてみるもののスケールがデカく楽しいが、やはり車が好き!と実感。3ヶ月で退社…。
BMW 営業時代 15年間
製造業、検査業務、重機整備などを経て…
「直す」→「作る」ときたから次は、「売る」だろう!と、1番苦手な営業に挑戦。
当時の自分の性格からは第一印象で判断しがちで自分からは積極的にコンタクトを取らなず、基本喋らないとっつきにくいタイプでした。
挑戦したは良いですが、何を喋っていいのか分からずポンコツ全開…。
お客様からは「お前営業なのに金額、車の長さ幅高さも知らねーのか!!!」と大きな声でお叱りをいただく始末( ;_; )
おかげ様で当時の車のことは今でも全て答えられるように。
BMWブランドがハマったのか販売の仕事を15年間経験し、本当にたくさんのお客様、先輩方、周りの方々に教えをいただき支えられ、最優秀賞を受賞することができました。
なぜ沖縄なの?
僕はもともと大の車好き。
特にアメ車が大好きで、アメリカの文化も好きでした。
23歳の時にロスに半月遊びに行き、アメリカの風景に溶け込むアメ車を見ていた時にアレ?日本の風景には日本車が1番合う?と感じました。
そして25歳で初めて沖縄を訪れた時の衝撃は今でもハッキリ覚えています。
アメリカと日本のチャンプルーが見事にマッチした雰囲気がとても心地よかった。
見たこともない青い海。
すっかり沖縄のトリコになり、毎年2、3回通い続ける…。
